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男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり

気になるパパ活女子風俗嬢AV女優について【男とは何か編】

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パパ活、AV女優、風俗嬢に関しての好奇心は果てない。どこか、ぼくと違う世界に住まう人間には知りたいことが沢山ある。ある日は、どのような境遇で性に従事しようと舵をきったのかを疑問に思い、各AV女優の経歴をWikipediaで調べたこともあった。


今、ぼくが一番解明したいのは、性に従事する人の心理についてである。これは例えだが、気持ちのシーソーなる物が存在すると仮定する。一方には金欲・了承を、片方には汚濁・拒絶をセッティングする。通常、心のシーソーは汚濁側が下に沈んでおり、気持ちは拒絶を示している。要するに、女性はお金を積まれなければ一般的に拒絶するということである。
しかし、お金が積まれる度に気持ちは了承の方に軍配が上がる(とぼくは考えている)。この時のスイッチ(switch)、つまり了承と拒絶が入れ替わる際の心理とはいかほどのものか、ということが疑問で仕方ない。更に換言すれば、金銭欲に勝る汚濁とは何かということになる。


以上の前提で物事を考えていく際に、誤りが入り込む余地があるとすれば、ぼくの思う性行為に伴うイメージについてが挙げられる。性行為を想像する時に『汚い』を伴うことがぼくに特定的な感覚であり、世間一般的な前提なのか、が不安なのだ。この不安を覚えながら、仮説の基盤に取り入れていれていることを悩み、考えが進まない。


そのために、ぼくは一向に答えへ辿り着くことができず、日々モンモンとしている。ところが、確かにぼくの性欲を満たす実質とは、ジョセイ性の汚濁なのである。聖や美の象徴である柔らかみを帯びた肌を持つ女性が、体液で汚されたり、暴力を振るわれた後に残る痣、相手を隅々まで知り尽くしたという満足感と征服や所有している感覚に陥れられた際に沸き起こる熱狂に誘引されて射精する。男とはそういったものではないか?とぼくは自己の一例で演繹するしかないのだ。